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千勝神社 (久喜市吉羽)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
千勝神社

拝殿(2012年6月)
地図
所在地 埼玉県久喜市吉羽1丁目
位置 北緯36度3分58秒 東経139度41分13.3秒 / 北緯36.06611度 東経139.687028度 / 36.06611; 139.687028 (千勝神社 (久喜市吉羽))座標: 北緯36度3分58秒 東経139度41分13.3秒 / 北緯36.06611度 東経139.687028度 / 36.06611; 139.687028 (千勝神社 (久喜市吉羽))
主祭神 大己貴命
武甕槌命
経津主命
天御名方命[1][2]
社格 村社
別名 三社様(さんじゃさま)
例祭 7月初酉日[3]
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千勝神社(ちかつじんじゃ)は、埼玉県久喜市吉羽1丁目に所在する神社である。

概要

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千勝神社はかつて埼玉郡吉羽村(明治合併以後は大字吉羽)の村社であった。所在地は吉羽土地区画整理事業が行われる以前は大字吉羽字西1545であったが、2002年平成14年)10月26日の町名変更により吉羽1丁目311と改められた。吉羽土地区画整理以前の境内地面積1948年昭和23年)の時点で1042を有していた[4]。神社は本来現在地よりも南に位置し、参道も100m以上あったが、1970年昭和45年)頃の神社東側道路の拡幅工事や周辺開発などで、神社そのものを北方へと移動させるなどの工事が行われた。[5]

境内社として雷電宮石碑八坂神社の社殿、稲荷社の社殿が境内地に所在している。また、1870年明治3年)の時点で千勝神社の他、八幡神社武甕槌命経津主命)・鷲宮神社天御名方命)が合祀されていたので三社大明神(さんじゃだいみょうじん)とも称されていた。境内施設として本殿社務所鳥居手水舎、「天皇陛下御即位記念」と彫られた石碑、「千勝神社 社務所新築記念」と彫られた石碑、灯籠1829年文政12年)9月に奉納された阿形吽形狛犬一対針葉樹の大木、便所などである。

祭礼は7月最初のの日とされている。酉の日に行われる理由として、この吉羽の千勝神社に鷲宮神社が合祀されていることに由来し、「昔、鷲宮神社の祭神が沼の向こうから賊に追われ、逃れる途中で千勝神社に宿泊し、この日が酉の日であったため酉の日に祭事が行われるようになった。」という伝承もある。行事としては大字吉羽字西地区(今日では区画整理により町名変更されている)の各家で朝に赤飯を炊き、それを子供親戚の家に配り、昼には小麦饅頭を作り、夜にはうどんを打ち食す、晩には神社境内および周辺の家々の道沿いに当番の人が作った灯籠が立てられ明かりがともされる、というものであった[6]

この祭礼の翌日に、大字吉羽字西地区(今日では区画整理により町名変更されている)では「ナイダー」という行事が行われており、流行病が地区に入らないよう悪魔除けを目的にした行事である。午前10時に男手が集まり、神社より長い数珠を皆で運び、高輪寺に置かれているを先頭に叩きながら「ナイダー ナイダー」と唱え耕地を巡回するというものである。1979年昭和54年)頃までは名主地主大尽の順に廻り、その後は道なりに全戸を巡回していたが、次第に戸数が増えた関係上、全戸巡回は取り止め、8か所のを回り最終的に中落堀川に至り行事の終着地とするようになった[7]

八坂神社

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千勝神社の境内社として八坂神社(やさかじんじゃ)が鎮座されている。

祭神は素盞鳴命であり、本殿を有している。由緒は不明である[2]。千勝神社境内の鳥居西側(境内南西)にある。

稲荷神社

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千勝神社の境内社として稲荷社(いなりしゃ)が鎮座されている。

この稲荷社はかつて大字吉羽西1562に鎮座されていたが、1984年昭和59年)に千勝神社に合祀され、千勝神社境内の北西側に遷座された。[8]祭神倉稲魂命であり、遷座以前の境内地は1948年昭和23年)の時点で75であった[9]

市内の千勝神社

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関連項目・周辺

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アクセス

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  • 久喜駅東口より朝日バス(のりば2)より「吉羽・栗原循環」・「吉羽・栗原経由 朝日バス車庫行き」・「吉羽・栗原・青毛経由 朝日バス車庫行き」のいづれかに乗車、「吉羽公園(乗車約5分)」にて下車、南方へ徒歩約2分(距離約100m)。運賃は100円。[10]
  • 久喜駅東口より久喜市内循環バスのりばにて「野久喜・吉羽循環」に乗車、「太田小学校前(乗車約17分)」または「市立図書館前(乗車約18分)」にて下車、「太田小学校前」バス停より南南西方へ(太田小通り沿いに南方へ)徒歩約3分(道程約150m)、「市立図書館前」バス停より西方へ徒歩約3分(道程200約m。運賃は100円。1日乗車券は200円。(市内循環バス 久喜市ホームページ)

脚注

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  1. ^ 『平成19年度 久喜市市民大学 大学院研究論文集Ⅰ 久喜市神社と神域の護持像、狛犬の調査(109ページ)』 久喜市市民大学 発行 平成20年2月16日 発行
  2. ^ a b 『久喜市史調査報告書 第一集 地誌(188ページ)』 久喜市史編さん室 編集 久喜市 発行 昭和58年3月25日 発行
  3. ^ 『久喜市史調査報告書 第3集 久喜の祭りと行事(87ページ)』 久喜市史編さん室 編集 久喜市 発行 昭和59年3月25日 発行
  4. ^ 『久喜市史調査報告書 第一集 地誌(188ページ)』 久喜市史編さん室 編集 久喜市 発行 昭和58年3月25日 発行
  5. ^ 第20回企画展 図録『写真と地図で見る太田の変貌 - 特に戦後の吉羽地区を中心として - (9ページ)』 久喜市公文書館 旧ホームページ(PDFファイル) - 国立国会図書館(インターネット資料収集保存事業)
  6. ^ 『久喜市史調査報告書 第3集 久喜の祭りと行事(39ページ)』 久喜市史編さん室 編集 久喜市 発行 昭和59年3月25日 発行
  7. ^ 『久喜市史調査報告書 第3集 久喜の祭りと行事(40ページ)』 久喜市史編さん室 編集 久喜市 発行 昭和59年3月25日 発行
  8. ^ 『平成19年度 久喜市市民大学 大学院研究論文集Ⅰ 久喜市神社と神域の護持像、狛犬の調査(79ページ)』 久喜市市民大学 発行 平成20年2月16日 発行
  9. ^ 『久喜市史調査報告書 第一集 地誌(189ページ)』 久喜市史編さん室 編集 久喜市 発行 昭和58年3月25日 発行
  10. ^ 千勝神社周辺 - Yahoo!ロコ ホームページ

外部リンク

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